100年超の歴史がある釜山の中華街は何故かロシア街

釜山中華街

釜山駅前にある中華街は、韓国で最大かつ最も歴史のある中華街の一つです。
中華街と聞くとチャイナタウンを思い浮かべる人も多いと思います。
私は以前アメリカのチャイナタウン、タイのチャイナタウンなどに行ったことがありますが、中華系住民がメインで椅子に座って休んでいるような感じで中華系文化が強いようなイメージがありました。

しかし釜山の中華街はチャイナタウンというよりは、多国籍が入り混じった街だと言う方が正解かもしれません。
釜山の中華街は日本が朝鮮半島を支配していた時に中華系の人々が住み始めて中華街を形成し、昔は領事館があったなどと聞いたこともあります。
実際に中華街を歩いてみた様子を解説して行きたいと思います。

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釜山の中華街は中華系、ロシア系、中央アジア系と入り乱れて多国籍?!

釜山の中華街は約100年以上の歴史を持ち、古い建物や伝統的な街並みが残っています。色とりどりの屋台やレストランで、北京料理や広東料理、四川料理など様々な料理が味わえます。

今回は私の先輩だったというかビジネス仲間だったある業界の軍団長の人と中華街に行った話を書きます。

私が中華街に行った時は、夜の深夜でしたから、ひょっとすると昼間に見える景色とは若干違うかもしれません。
しかしながら、特徴的な街並みなどは昼も夜も大して変わらないと思いますから、参考にしていただければと思います。

中華街の入り口は黄色のドラゴンのような大きいものがあります。
日本で言う神社の鳥居みたいなイメージですかね。
中華街を入るとすぐに中華系の学校があります。
釜山中華街壁には中国の偉人のようなイラストがたくさん掲げられています。
儒教で習ったと思いますが、漢文の授業に出てくるような昔の偉人のような感じです。
政治的なイメージはないようです。

中華系学校を通り過ぎると右側にはアメリカをイメージしたテキサスストリート、左側には中央アジアやロシア系のレストランが並ぶ街並みがあります。
深夜でしたのでほとんど人はいませんでした。

最初にロシア料理のアパーチャという店と、中央アジアのウズベキスタン料理店が向かい側にある場所でどちらに入ろうか迷っていましたが、最初にロシア料理のアパーチャに入ると、怪しげなおばあちゃんが出てきて、あばあちゃんって感じでした。笑

まあそれだけならいいんですが、、カラオケ行くのに女の子紹介するよとか意味不明なことを言い出したので、なんだか料理を食べてましたが気持ち悪くなったので早めに出ました。
いわゆるスナックみたいな感じかもしれませんね。

中央アジアのウズベキスタン料理ウチェクドクУчкудук

ウズベク料理

向かいの中央アジアのウズベキスタン料理ウチュクドゥクУчкудукの方に入ることにしました。
ウチュクドゥクとは都市名らしいです。

ウチュクドゥク(ラテン文字:Uchkuduk, Uchquduq、ウズベク語: Uchquduq / Учқудуқ、ロシア語: Учкудук)は、ウズベキスタン・ナヴォイ州に属する都市である。キズィルクム沙漠の中、州都のナヴォイからは北西に約300 kmの地点に位置する。なお、片仮名転記ではウチクドゥクやウチクダックと表記される場合もある[2][3]。

引用:Wikipedia

中央アジアのウズベキスタン料理は本当に美味しかったです。
ある業界において、軍団を率いる軍団長の男性と一緒に入りました。

ウズベク料理2

ウズベキスタンのピラフ、カザフのケバブ、ヨーグルトのようなアイランを注文しました。
向かいのロシア料理で数品食べていましたから、あまり沢山は食べられない感じでした。

味は非常に美味しく、ロシアのアバーチャに行くよりは、最初からウズベキスタン料理にすべきだったかな…と思いました。

〆のデザートはハチミツたっぷりのウズベキスタンのケーキにしました。
とっても甘くて美味しかったです。

料理が出てくるまでは割りと早めでしたが、アイランが少し時間がかかっていましたから、厨房を覗き見に行ってみました。
私はケフィアが好きだとロシア語で伝えると若い男の料理人二人がうなづいてました。

ウズベク料理

ケフィアとは違うヨーグルトのようです。
ケフィアというのは旧ソビエトのコーカサス地方で作られていたヨーグルトに似たような食べ物です。
しばらくすると、厨房からオーナーぽいようなおばあさんが出てきました。

ウズベキスタン料理で歴史の話

インテリなおばあさんとロシア語で会話をし、興味深い歴史の話が出来ました。

なお私のロシア語能力はNHKのテキストでラジオで勉強したレベルですので、そこまで上級ではないんですので、誤訳があるかもしれないのはご了承ください。

話を聞いていると、おばあさんの祖父は日本で働いていたことがあるらしいです。
私たちが日本から来たというと、日本のどこか忘れましたがどっかの県で働いてた祖父の話をしてくれました。
元々はサハリン出身だったようです。

中央アジアの人々は、旧ソビエトの領土内にいた人が多いのでロシア語を喋る人が多いのです。
私の祖父も第二次世界大戦後にソビエトで捕虜として強制労働に従事していた時があるのでその話もしてみました。

祖父も1年ソビエトにいましたから、聞き取りは映画を聞き取れてましたが、ロシア語の読み書きは出来ずに聞いて覚えたためか、捕虜のロシア語は文法的にはピジン化しているようです。つまり簡略化されていたりするようですね。

高麗人?

私が気になっていたのは、中華街に朝鮮語を流暢に話す中央アジア系が非常に多いので、彼らは高麗人、つまりもともと朝鮮半島や朝鮮族にルーツを持つ人々ではないか??と思っていたのです。
向かいのロシア料理も中央アジア系の人でした。

高麗人は高麗の言語、高麗語(コリョマル)を話す人がいると聞いていたことがあります。
中学校三年か高校一年ぐらいの時に、NHKの教育番組で見たことありますが、スターリンの強制移住によって朝鮮半島の周りに住む朝鮮族の人たちが、強制的に中央アジアに移住させられた歴史があると聞いたことがあります。

当時は日本が朝鮮半島を支配していたために、朝鮮族の人々をスパイとして使うのでは無いかと懸念を頂いたスターリンによって、朝鮮半島の周りの沿岸州あたりから、強制的に中央アジアに突然移住させられたらしいのです。

しかもなぜ自分たちが中央アジアに連れてこられたのかを子供に伝えなかったために子どもは自分たちがなぜ朝鮮語に近いような言語をしゃべっているのかを全く知らないというケースがあったようです。
そうじゃないのかと思って聞いてみましたが違うといっていました。
ルーツの話はあまり深く突っ込んで聞くべきでもないような気がしたのでさらりと流しました。

なぜか中央アジアの人なのに朝鮮語が流暢なのは、そこら辺の地域では、高麗人がいるために朝鮮語が教えられてるということも聞いたことがあります。
YouTubeなどで見ると高麗語などで検索してみると出てきたりもします。
ロシア語と朝鮮語が混じったような言語を話してたりします。

ある種のそこら辺の地域のリンガフランカつまり共通言語として使われているのかもしれません。
高麗人の言語、つまりコリョマルを話す人々のYouTubeを韓国人に見せたことがありますがわからないといっていました。
ロシア語が混じったりするので私の方がまだわかるぐらいだったのです。

おばあさんの顔つきはどちらかというと朝鮮族というよりは中央アジア系の顔でしたので、朝鮮語はリンガフランカとして使って覚えていたのかもしれませんね。

中華街にはサマルカンドという非常に有名なウズベキスタン料理もあるようですが、そこは違う場所でした。
行ってみようかなとも昼間なら思うかもしれませんが夜は非常に暗くて治安が悪いというよりは誰もいないのでなんだか歩くのもちょっと気が引けて行きませんでした。

テキサスストリートは完全に夜の街

テキサスストリート

テキサスストリートの方にも行ってみましたが、バーなど夜の商売をしているロシア女性たちが非常に多いので、強引に連れ込まれるようなことはないかもしれませんが、あまりそういった雰囲気が好きでない人は行くべきではないかもしれません。

歩いているとロシア系のおばちゃんに強引に引き込まれそうになったこともあります。
入り口あたりにはセブンイレブンみたいなコンビニがあったので利用した人は行ってみると面白いかもしれません。
テキサスストリートは米軍相手にしていた歓楽街と聞いたこともあります。

釜山の中華街まとめ

いかがでしたでしょうか?
中華街は他の国のチャイナタウンと全く違って、完全にロシアと中央アジアの方が多いような多国籍の街です。
釜山のほかの地域は普通に韓国人の人たちばっかりなので何でここだけこんな感じなのっていう雰囲気です。

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